講座詳細

詩歌に読む日本近代 〜徳川から明治へ

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講  師芳賀徹

はが・とおる

1931年 山形市生まれ
1953年 東京大学教養学部教養学科フランス分科卒
1960年 同大学院比較文学比較文化博士課程修了
1963年 東京大学教養学部講師、65年 同助教授、75年 同教授、92年 
同名誉教授(文学博士)
1991年 国際日本文化研究センター教授、97年 同名誉教授
1998年 岡崎市美術博物館館長(現在に至る)
1999年 京都造形芸術大学学長、2007年 同名誉学長、09年 同客員教授
2010年〜 静岡県立美術館館長
1955〜57年 フランス政府給費留学生 パリ大学留学
1965〜67年 プリンストン大学東アジア研究科客員研究員
1975〜76年 ワシントン、ウッドロー・ウィルソン国際研究センター所長
日時・会場
日程: 2013年5月7日、21日、6月4日、18日、7月2日
(隔週火曜日)
時間: 18:45~20:45 (講義1時間半、質疑応答30分)
会場: 日本経済新聞社 東京本社2階 「SPACE NIO」
定員: 60名 ※定員に達し次第、申し込みを締め切らせていただきます。

受講料 26,250円(税込)
※受講料の支払は、お申し込み完了後、振込でお願いいたします。
振込先等の詳細は、申し込み時にご登録のメールアドレス宛にお送りする完了メールでお知らせします。

講座内容

芭蕉 蕪村 一茶
子規 茂吉、虚子、朔太郎  

芭蕉

むかし「座談会明治文学史」(岩波書店)という本を読んでいたら、そのなかで参加者の一人 勝本清一郎氏が「日本文学の近代は芭蕉から始まるのではないか」と発言していて、非常に新鮮なショックを受けたのをおぼえている。
自然を空間と時間の両次元から一挙に把握するその力の強さ、そこに働く感覚の切っ先の鋭さ、そこに託された驚きや安らぎの感情の豊かさ—勝本説は当っているのではないか。

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蕪村

文学や美術の歴史は、世の歴史家たちのもっぱらにする政治や経済や社会の歴史にもちろん遠く近く対応しながらも、しばしば同時代性を離れて自由自在に前後に跳躍する。尾形光琳しかり、伊藤若冲しかり、そして若冲と同年生まれの与謝蕪村もまたしかり。
自己の内面の奥底を見つめて、そこに漂うかすかな不安と所在なさを詠みとらえる。これはもうヨーロッパ文学で言えば19世紀末のあの「アンニュイ」の詩ではないか。

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一茶

津田左右吉はその大著「文学に現はれたる国民思想の研究」で、ほとんど一章をあげて小林一茶を英国18世紀のロバート・バーンズにも比すべき農民詩人として絶讃した(一方では都雅の人蕪村をおとしめながら)。その面はもちろん大きい。だが金子兜太編「一茶句集」(岩波書店)に収められた次のような句こそ、いまの私たちの心を鷲掴みにする。
なんという破れかぶれの痛快な現代詩であろう!

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子規

正岡子規こそ明治日本の革命詩人だった。
一生、火の玉の熱さと痛さを抱えてダッシュした。子規の俳句や短歌の定型詩、また歌論や日記の散文を読むと、いまの私たちまでやけどしそうな気がする。
同時代の島崎藤村や北村透谷の新体詩がかえって古びて見えてくる。

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茂吉、虚子、朔太郎

明治をこえて大正に入るが、この三詩人とも日本の古典詩歌をたっぷりと身に受けついでいた。大正半ばごろの歌人斎藤茂吉(1882〜1953)、俳人高浜虚子(1874〜1959)、自由詩の詩人萩原朔太郎(1886〜1942)という三人の作品をとりあげて比較し、短歌と俳句と自由詩の間の呼応と背反、古典への遠近、そして西洋詩歌への対決の姿勢をそれぞれに探り、測定してみよう。例とする作品は未定。

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